会津若松 鶴ヶ城へ行きました!

日本観光

 小雨降る中、福島県へ。

 

戊辰戦争で激しい攻防戦に耐え抜いた

名城として知られる鶴ヶ城へ行きました。

 

まず、駐車場から、

鶴ヶ城会館(お土産屋さん)を抜けて、

 

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桜ヶ馬場跡を通ります。

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戊辰戦争時に、会津藩の馬の練習場が

あったとされています。

 

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門をくぐり抜けた右側には、

この場所の説明があり、

八重の桜で、主人公となった、

山本八重が、慶応4年にあった

人員調べの際に男装して、

山本三郎を名乗り人員調べを

通過した場所と、記されていました。

 

さて、そこから道なりに少し進むと、

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鶴ヶ城への入り口が見えてきます。

 

鶴ヶ城と検索すると、

若松城が出て来ることが多いですが、

昭和9年に、鶴ヶ城が国の史跡に指定された際、

所在地を登録名としたために、

公式では「若松城」となっているそうです。

 

ですが一般的には、「鶴ヶ城」が有名であり、

古い文献には「会津城」と

書かれているものもあるそう。

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入るとすぐに、

桝形という、石垣があります。

この桝形には、敵からの攻撃を、

三方向から守るという利点があるそうです。

 

さてそこから道なりに進むと、

チケット売り場が見えてきます。

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チケット料金や時間、

休館日や駐車場案内については、

会津若松観光ビューロー|鶴ヶ城 会津若松城 御薬園 松平家廟所| 悠久の時を超え、幕末の天守閣が今よみがえるより拝借しました。

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さて、チケットを購入したら、

いざ、出陣のお時間…!

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雨なので、階段で

ズッコケないよう気をつけて、

城の中へ入って行きます。

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入ってまず見れるのが、「塩蔵」

天守閣唯一の遺構とされていて、

塩などの貯蔵庫として利用されていた場所です。

 

そこから、2階、3階と登ります。

2階、3階は撮影禁止だったので、

お写真はありませんが、

2階には、武器や甲冑が飾ってあり、

3階には、戊辰戦争関連の資料があります。

 

また、150年記念企画展として、

会津藩に関する特別な資料も

展示されていました。

 

4階には、松平容保の自画、

自刃した白虎隊の画もありました。

 

さて、いろいろな展示を見ながら、

5階の天守閣へ進みます。

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雨上がりで雲が下がって

霧も出ていたので、遠くまでは見渡せず…

 

飯盛山がどこなのかわからなかった…

 

飯盛山といえば、白虎隊最期の地。

 

16歳から17歳の部下の男子で結成された部隊。

戊辰戦争で苦戦を強いられ、

鶴ヶ城への山道を通って、

飯盛山へ落ち延びた隊士たち。

 

途中で散り散りになって、

飯盛山へたどり着く頃には、

わずか20名になっていたそう。

 

飯盛山から見えたのは、

新政府軍に攻め入られて、

火の海になった、若松城下の姿。

 

疲れ切っていた彼らには、

煙を見て、城が燃えていると、

そう、勘違いをした彼らは、

飯盛山で自刃を選んだといわれています。

 

諸説あるようですが、

今回はこのお話を聞いたので、

こちらを紹介しました。

 

さて、展望台から降りて来ると、

南走長屋へ繋がっています、

 

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武器庫だったとされていますが、

どんなところかなあ〜

と、思いながら進んでみると、

 

なんと、お土産やさんになっていました。

(非常に考えられた作りだ…)

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さて、南走長屋を出ると、

鶴ヶ城ともお別れ。

 

鶴ヶ城の瓦は、「赤瓦」として有名ですが、

創建時に使用されていたもので、

これは平成23年に再建時に再現されました。

 

もともとは、会津本郷焼だったそうですが、

もう今は作ることができないため、

現在は、新潟の安田瓦を使っているそう。

 

釉薬を塗って瓦を焼くことで、

水分を通さず、割れにくい瓦になり、

釉薬によって、赤みを帯びるそうです。

 

また、鶴ヶ城と名古屋城、

再建したときの建築会社が同じらしく、

名古屋城が金鯱なのに対して、

 

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鶴ヶ城は銀鯱なんだとか。

 

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